或る杉の雑記林

日々の愚痴・備忘録など

脱・自虐


最低な休日だった。
対戦ゲームで自虐は加速するし、挙句嫌な気持ちで日曜日を終えるし。
しかもここ数日、人間らしい生活を一切しなかった。


被虐根性が自身の奥深くまで根付いているらしく、最近職場でも注意されるようになってきた。
思い出せる範囲だと、とりあえず謝るのを止めよう、何でも自分が悪いわけではない、発言がネガティブすぎる、とか。
自身の娯楽にも平然と浸食してきていて、友人とやっているチーム制対戦ゲームでの敗北の原因を無暗に自分に見出そうとしたり、自分への叱責が止められなくなり、とうとうそれを否定しようとする人格が表れて一人で会話を始める始末だ。
そして、友人からもネガティブさを指摘される。
自責に無理がある。怖い。モチベ下がる。休んだ方がいいのでは?
そんな声が出るのも当然と言えば当然であって、実際人が激昂している姿なんて、矛先が自分に向いていなくともゲンナリするものだ。

体感として、自虐行為はかなり気持ちがいい。
一人称から自己を切り離して生み出した、出来の悪い第三者を貶めるのが堪らなく愉快だった。
それに、これから自分を攻撃する自分自身に一人称視点を置き、出来の悪い私に対して文句が喉元までせりあがってきているであろう皆々様に先んじて自身を攻撃する。そうすることで、自分には被害が及ばず守られている気になっているんだ。

人間は他人を貶めることで精神を守るなんて習性があるらしく、多分それを自我に対して無理矢理やっていたのだろう。
友人から指摘や心配の声が上がるくらいには深刻だし、職場でも、自分に対して他人事過ぎる、なんてことも言われた。
だからこうして生まれた惨めな第三者を、そろそろ認めて一人称に迎え入れなければならない。

何だか書いてて涙が出てきた。
ごめん、出来ない自分。今まで悪かった。許してほしい。

自虐の材料を断つだけでもきっと変わってくるはず。
だから今日は対戦ゲームを削除した。


こんにちは私。出来ないこともいっぱいあるだろうけど、これから頑張っていこう。
まだまだ先は長い。

疲れた…

もう四月に差し掛かるころだというのに、まだコートが手放せない。


冒頭こんな一文しか書けない事から分かるように、今日は気力がない。
というか、ここ1,2週間で気力・思考力がどんどん低下してきている気がする。
今日なんかは業後、小説読み進めるだけしかできなかった。
まぁ後は、マジでどうにかした方がいい自分の欠点が分かってきたことくらいかな?
その欠点というのが「今自分が捉えられる文脈が非常に短い」こと。具体的には以下の通り。

  • 人の話を加味して自分の話を前進させられない。
  • 人が1分前くらいに言っていたことを完全には記憶できない。(情報量が落ちる)

原因は3つくらい考えられる。

  1. 慢性的睡眠不足で頭がやられている。
  2. 実は発達が遅れている。
  3. 精神を病んでおり、脳の動作に支障をきたしている。

これはさっさと病院に行って明らかにしたい。
病院に掛かる順番は脳神経内科心療内科かな。


そろそろ人と「真っ当に」会話できるようになりたい。
まだまだ先は長い。

やる気のない日々

今日はコートを着てさえいれば体のどの部位も寒くならないくらいの、まあまあな気温だった。
天気はいい感じでも、相変わらず仕事はダメだ。


とりあえず今日得たものは、自分の悪癖を実感したことだろうか。
「手段のための手段を取りがち」
「分からないことを知っている体で、次へ進みがち」
どれも仕事の完了をイイ感じに妨げる、最悪な癖たちだ。
やることは、常に目的・動機を明らかにしておくこと、分からないことを全くなくしておくことの2つかな。
(実はこんなことを去年から指摘され続けている。直るのか?これ)


とにかく社会人歴ほぼ1年になるのに、こんなザマでいられない。
まだまだ先は長い。

論理の誤り

今日は1日中曇り。
晴れていると朝が寒くなりがちだから、朝が弱い自分にとってむしろ好都合だったかもしれない。


上長とはもう一生まともに会話できないかもしれない。
というのも、自分が彼に話をするときは決まって如何に自分の話に論理上のほころびが生じているのか注意深く睨みを利かせているのである。
少しでも言い間違い・勘違い・言葉に詰まるなどすると、話の組み立ての質を指摘され、まともに話が完結出来ないのである。
こう話すと、上長に非があるように見える。
しかし、こうなるのも当たり前、納得の理由があると我ながら思っている。
ずばり、話の論理が成り立っていないのである。
何がどうして成り立たないなどと言っているのかというと、それはごく単純なことである。
A君が、あるツールXXXを使ってYYYすることを任されている姿を想像してほしい。
ここでA君は、XXXの知識を一切持っていない。
次にA君は、YYYのやり方を調査・実践すると言う。
これはおかしい。
A君はXXXでYYYが出来ることを前提に話を進めているのである。
しかし、A君がXXXを知らないということは、XXXで何ができるのかも分からないということである。
つまり、この時点でXXXによりYYYが出来ることを保証し得ない。
書き起こしてみればこんな簡単な論理的間違いを、数か月間、上長に向けてほぼ毎日続けている姿を今一度想像してほしい。
もうたくさんだ。うんざりする。こんな奴の話をまともに聞く価値がない。当然のことだ。

ここまで書いておいてなんだけど、本当は不満タラタラですよ。
第一に、言い間違い・勘違いは人間誰しもがやらかすことじゃないの?
そして、言葉に詰まるのはいくつか原因があると思う。

  1. 緊張しているから
  2. 語彙が無いから
  3. 自分の話を自分でいたずらに疑っているから

これらは正直、自分の今までの人生を粗末に過ごしたことが原因だと思う。
とはいえ、こんなこと一朝一夕で改善できるはずがないでしょ。
自分の話を疑わないようにするなんて、学生時代に過去にやたらめったら話す内容を馬鹿にされたから生まれてしまった癖ですよ。
どうやって直すんだ、こんな癖。
きっと今の自分に必要なのは、フラットに人と会話する機会なんだと思う。

とまぁ更にここまで書いて一つ気付いたかもしれない。
自分が文章を書くときの癖だ。
まず頭に浮かぶ内容を、時系列が飛ばないようにざっと整理した後、書き上げる。
次に、足りない、やっぱりおかしいと感じた部分をチマチマ直していく。
これだ。おかしいと感じてしまう部分を延々と直していくこの癖。
こんなことを仕事でもやってしまうから、時間の浪費癖も指摘されてしまうんだ。

明日以降、目的・述べる内容を決定してから文章を書きたい。
そんで、見直し回数は1回のみ。
これで、ゴールなき修正と、時間の浪費に対してアプローチが出来るのではないか?
まず1週間、意識できる範囲で続けていこう。


とにかく、仕事ではもう少し穏便に経験を積ませてもらえないかなぁ…
まだまだ先は長い。

ブログデビュー

人生二十数年目にして、ブログに入門。
気付いてみれば、自分の意見を自信をもって発信できなくなっていた。(SE職なのに、これは致命的…)
なのでブログでのアウトプットを通して、自分の意見に自信を持つことが出来たらなと。


今日はオライリージャパンから出版されている、リーダブルコードを読み始めた。

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コーディングはまず他人(引いては未来の自分)が見て、最短で理解できるコードを書くことが第一らしい。

また、同じ処理でも、見て分かり易いと感じる記述を選ぶのが良いとか。(長さはあまり関係ない)
正直何でも短ければ短い程良いと思っていたが、そうではないらしい。
例:三項演算子とif・else

test.score >= 60 ? isPassed = true : text.isVisible = false;
if(test.score >= 60) {
  isPassed = true;
} else {
  isPassed = false;
}

確かに後者の方が、何をするのかパッと見て分かり易い。

変数・関数の命名のコツも、以下のように述べられていた。

  • 明確な単語を用いる(get⇒fetchなのか?downloadなのか? 類語を調べよう)
  • 汎用的な命名を避ける(tmp, val ...)
  • 値の単位を明らかにする(秒、バイト数、長さなど)
  • イテレータの添字名を配列名と関連付ける(clubs[i], users[j] ⇒ clubs[ci], users[ui])
  • 関数は動作で命名する
  • 1つの抽象的な名前に複数の意味・動作を含めない事


とにかく実践しないときっと定着できないかな。
正直セルフレビューシートを作るなりしないと実践しきれないかもしれない…
まだまだ先は長い。